~「スーダラ伝説」植木さんおつかれ~
ハナ肇(ドラムス) 享年64 1930年東京府豊島郡(現豊島区)生まれ。山手通り沿い要町交差点付近の実家(水道屋)で育った。本名、野々山定 夫。工学院大学卒。芸名の由来は鼻を膨らませる顔芸が好評であった事からきている。進駐軍のキャンプ地などでドラム奏者として活躍。その後犬塚弘、萩原哲晶らと、クレージーキャッツの前身である「キューバンキャッツ」を結成。その後、1956年「ハナ肇とクレージーキャッツ」を結成、バンドマスターとなる。「巨泉・前武のゲバゲバ90分 !!」でのヒッピー姿で叫ぶ「アッと驚く為五郎」と言うギャグや新春かくし芸大会での銅像役はよく知られている。俳優ナレーターとしての評価も高かったが、本人はやはり音楽をやりたかったらしく、晩年は「ハナ肇とオーバー・ ザ・レインボー」というバンドを結成し、活動していた。1993年肝臓ガンのため死去。
webよりけっこう、ガンで亡くなってますね。自分は・・!
犬塚弘(ベース)
1929年東京大森の生まれ。文化学院卒。IBM勤務などを経て、クレージーキャッツに参加。キューバンキャッツ時代
から参加していた最古参メンバーである。俳優としても評価が高く、現在は舞台を中心に活躍中である。

ウェブより、珍しいねこの時代にIBMとは。
安田伸(テナーサックス) 享年65 1932年東京都中野区の生まれ。東京芸術大学卒。石橋エータローらと、バンドで活躍後、1957年9月、石橋エータロ ーの紹介でクレージーに参加。サックス奏者以外にも、俳優として映画/舞台などで活躍したが、晩年はガンとの闘 病が続いた。ブリッジしながらサックスを吹き鳴らす荒芸も有名。夫人は竹越美代子。愛妻家で知られ、そこから「 ミヨコ~」というギャグが生まれたほど。1996年に急性心筋梗塞で死去
ウェブより。この人も今回あまり、絵はないけど、後で「動画」にていいのがあるんだ。
石橋エータロー(ピアノ) 享年65 1930年東京・新橋の生まれ。父親は、作曲家で尺八奏者の福田蘭堂。祖父は洋画家の青木繁。東洋音楽大学(現東京 音楽大学)卒。安田伸らとバンド活動後、1956年に世良譲の紹介でクレージーに参加する。1960年に結核で一時離脱 。代わりに、ピアノ奏者として桜井センリが加わる。その後、クレージーに復帰するも、1971年に引退。料理研究家に転進、渋谷で「三漁洞」という小料理屋を経営していた。1994年に胃ガンのため死去。
ウェブよりまたまた、若くして胃ガンですか・・・・。
東京都出身。早稲田大学法学部在学中の1951年、松本英彦、中村八大らと『渡辺晋とシックス・ジョーズ』を結成。 リーダーの渡辺はベースを担当して人気を集めた。やがて渡辺はプロダクション経営を考え始め1955年4月、妻・ 美佐、松下治夫とともに渡辺プロダクションを設立。当時、芸能人の地方公演はそれぞれの土地の興行師が実権を握 り、不明朗なことが少なくなく、それをタレントを抱えた自分のプロダクションの手で行い、利益と権利を確保しよ うという狙いがあった。それまではレコード会社の専属抱えだった歌手・作詞家・作曲家を渡辺プロの傘下に集結さ 、芸能界初の月給制を導入。さらにこれまでレコード会社で行われていた原盤制作を系列の渡辺音楽出版の手で作 らせ、プロダクションに莫大な利益をもたらすようにした。こうして巨大化した渡辺プロはナベプロ帝国と呼ばれ、渡辺は芸能界のドンとして君臨するようになった。政財界にも強力なコネクションを持ち、マスメディアがナベプロ を批判することはタブーとなった。
しかし、日本テレビ系列で始まったオーディション番組『スター誕生!』によるホリプロや数年間提携していたジャ ニーズ事務所など、更に吉本興業、バーニングプロダクション他のプロダクションの台頭、伊東ゆかり、森進一、木 の実ナナ、布施明など人気タレントの相次ぐ独立もあり、1970年代後半から徐々にナベプロ帝国の影響力に陰りが見 え始めた。それに合わせるかのように、ナベプロ帝国を築き上げた渡辺自身も体調を崩すようになり、1987年1月31 日、59歳の若さで急逝した。
この方が「ナベプロの創業者」とは
若くして、お亡くなりに。そればかり気になるね。
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