〜「スーダラ伝説」植木さんおつかれ〜
クレージー・キャッツへの・・
1960年代に一世を風靡したコミックバンド。「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ)「おとなの漫画」(フジテレビ)などのテレビ出演をきっかけに人気が爆発。映画にも進出し、クレージーの出演作は東宝のドル箱シリーズとなった。映画の挿入歌として発表されたシングル『スーダラ節』『ハイそれまでョ』『ドント節』なども軒並み大ヒット。しかし次第に植木・ハナ・谷らの主要メンバー個人での活動が多くなり、石橋エータローが1971年に脱退したころにはめっきりグループで活動する機会が減ってしまった。1980年代以降は、コメディアンというよりは各人俳優としての性格が濃くなり、実質的な解散状態になった。その後も幾度かグループで出演したこともあるが、1993年9月のハナ肇の死去により、正式な解散宣言が植木等より出された。この宣言は翌日には撤回されているが、その植木も2007年には他界してしまい、現在でも生存しているメンバーは谷、犬塚、桜井の三人のみである。
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事務所の後輩にザ・ピーナッツやザ・ドリフターズ(クレージーを含めたこの3グループで「ナベプロ3大タレント」と言われることもある)がいる。ドリフターズが1964年に再結成した時点で、メンバー全員の名付け親となったのはハナ肇である。また1970年代には60年代同様クレイジーキャッツが「高度成長期」を謡った歌などが爆発的にヒット、クレイジーキャッツのバラエティ番組が増えた。平成現代の「SMAP」の位置的な「クレイジーキャッツ」のバラエティ番組が60〜70年代は増えた。その理由は「SMAP」の様に多彩な事(コントや歌等)をこなすことが出来るからである。この事はバラエティ番組を語る上で外せない話題であろう。
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フランキー堺(ふらんきー さかい、1929年2月13日 - 1996年6月10日)は、鹿児島県鹿児島市出身のコメディアン、俳優、ジャズ奏者(ドラム)、落語家。本名は堺正俊。昭和時代を代表する喜劇人であった。
私立麻布中学を経て慶應義塾大学法学部卒業。

大学時代から進駐軍のキャンプでジャズ・ドラマーとして演奏し、芸能界へ進む。芸名のフランキーは進駐軍相手に演奏を行うため通りがいいように名付けた。後に映画に進出して、喜劇を中心に出演。その一方、BC級戦犯の悲劇を 描いてTVドラマから映画にもなった『私は貝になりたい』などの社会派ドラマ、『幕末太陽傳』などの時代劇、そして『モスラ』や『世界大戦争』などの特撮まで、幅広く活躍した。東洲斎写楽の研究も行い、多額の私財を投じて、
写楽の謎の解明を行っていたことでも有名である(1995年の篠田正浩監督作品『写楽』では、版元・蔦屋重三郎を自 ら演じるとともに、企画総指揮も務めた)。
桂文楽 (8代目)の弟子の落語家でもあり、噺家としての名は桂文昇。
後に大阪芸術大学舞台芸術学科の教授にも就任。学科長も務めた。
1994年に紫綬褒章を受章。1996年6月10日、67歳で死去。


webより ・・・う〜ん、喜劇人のみ知っていたけど、名門学校を出て、すごいね。落語にも・・。皆さん、結構早めにお亡くなりに。私は凡人だけどこのくらいかな。やばいね。
スパイク・ジョーンズから「冗談音楽」とは・・
上が「谷啓」さん。左が「桜井センリ」さん。桜井さんはピアノがうまかったそうです。
谷啓(トロンボーン)
1932年、東京府荏原郡(現大田区)生まれ。広島と横浜で育つ。本名は、渡部泰雄(わたべ やすお)。芸名の由来は、アメリカの名コメディアン、ダニー・ケイを日本語風にしたもの。中央大学中退。大学在学時からトロンボーン 奏者として各種バンドで活躍していた。1956年2月シティ・スリッカーズからクレージーキャッツに参加。「ガチョ ン」(現在は「ガチョーン」)や「ビローン」、「あんた誰?」といった各種ギャグで不動の人気を獲得。トロンボ ーン奏者・コメディアンとしてだけではなく、俳優としても活躍し、映画『釣りバカ日誌』シリーズの佐々木役は当たり役である。ナレーターとしての活動も多い。現在クレイジーメンバーで最も露出が多く若年層にも知名度が高い。トロンボーン奏者としての実力は非常に高く、現在も「谷啓とスーパー・マーケット」というバンドを持ち、不定 期ながらも音楽活動を行っている。

webより。あそうか「ガチョーン!」忘れてたね。これだよこの人の!
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